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「待つ」は応援しているよのサイン


育ちエスコーターkunisannです。



++++


ひとりひとりのお母さんが

自分にしかできない子育てと

自分だからできる生き方を

見つけてほしい。


++++



朝蝉の鳴き声が聞こえたら、

夏来た〜って思いますよね。







記憶と感覚は結び付けられてることが多いです。



超感覚的に生きている私は、

嬉々としてしつこく「蝉ないとる。夏やね〜。」

と家族に言うのだけど、

あまり理解されないのか「で?」とか、

無言とかで対応され、とても悲しい😢



ただ、「だね。」って言ってくれるだけでいいのだよ。



みなさんは、感動することできていますか?

そしてそれを誰かと共有することができてますか?



××××


今日は


勇気づけるための3つのポイント

●信じる

●聴く

○待つ


3つのポイントの最後。

「待つ」について考えてみます。



長男が小学校入学の頃だったかな。

ある機会をいただき書いた文章に

こんなことを書いたことを覚えています。


「子育てしてみてわかったのは、待つことが大切であることと待つことは難しいということだ。」

いま長男は20歳になっています。

子育て歴20年です。


親駆け出しからすると大先輩!


その大先輩でも

まだまだ待たないといけない状況はあって、

まだまだ難しいなと思うことがよくあるのです。




ふと最近、「待つ」ってどういうことだろうと思いました。


そんな時は辞書を調べてしまうのです。


「待つ」とは、

人・物事・順番がくるのを予期し、願い望みながらそれまでの時間を過ごす。

___とのこと。




なるほど。

待つとは、願いながら時を過ごすことなんだ。



一昔前、携帯電話などなかった時代を生きた方は、

こんな経験しませんでしたか?


誰かと待ち合わせした時、

遅れたらいけないと早めに着けば、

いつ来るかな、

今こっち向かってるかな、

あったら先ず何話そ、

とか思いながら時を過ごした。




相手が遅れようものなら、

ドキドキしながら、

事故に遭ったのかな、

出かける直前に誰か来たのかな、

無事に会えるかなと

思いを馳せながら来るまでの時を過ごした。






20代・30代のお母さんは物心ついた時には

もう携帯電話はあったのかな。



そんな状況が減ったとはいえ、

子育てにおいては、待つことは多いと思いませんか?



最初の一歩が出るまで、

歩き出したらどの靴履かせよう、

あそこの公園に行こう

などとワクワクしてその一歩を待ってました。



初めて園に行った日、

楽しめてるかな、

帰ったら園での出来事話してくれるかな、

などと思いを馳せながら仕事をして、

早く顔を見たくて迎えに行ったのを思い出します。



そんなふうに自然と待つことが、

成長とともにできなくなっていませんか?



もしかするとそこには期待があるのかもしれません。

もっとできるんではないか。

もっとやってほしい。


さらに言えば要求になっているのかもしれません。

もっとこうしてほしい。

もっともっと。



最近も「待つ」ということを忘れてしまい、

急かして苦しめてしまいました。



何かを成し遂げようとチャレンジしているのに

その勇気をくじいていたのです。


だからあえて意識して「待つ」んだと

意識するようにしました。


こちらが待つ姿勢でいると

お互いの気持ちは自然とやわらぎます。


結果何かをチャレンジしている子どもを

勇気づけることができているのです。


「待つ」ことが応援しているよのサインとなっているのです。



「待つ」ことがなぜ勇気づけるのか。

それは、

○自分のペースで歩める
○信じてもらえてると感じる
○これでいいのだと思える

ではないでしょうか。





「待つ」ということ。あえて意識してみてください。



子どもを勇気づけることで

必ず自然な育ちを実感できます。


××××


最後まで読んでもらいありがとうございます😊


誰か1人でも「そうかっ!」と気づきになれば嬉しいです。


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